藤島地域の概要



藤島地域の歴史

庄内の中心にあり、古くは出羽国の要所として栄え、さまざまな歴史の波を越えてきた藤島地域。
ここには先人の息吹を伝える貴重な財産が数多く残され、歴史のロマンや自然の偉大さをも伝えています。

八幡神社

 藤島地域は平野の中央に位置し、和銅元年に出羽郡出羽国が置かれ、その中心として栄えました。戦国時代南朝の拠点として、鎮守府将軍北畠顕信が護永親王を報じて旗揚げしたのが藤島城だと言われています。
 鎌倉時代に、土佐林氏が藤島に築城し、その後源頼朝によって地頭として派遣された武藤氏に支配され、越後上杉、山形最上氏による領有争いの時代を経て、徳川家康の世に、庄内は最上氏に与えられました。藤島城にはその家臣新関因幡守が入城し、最上氏改易により廃城になるまで、さまざまな戦禍をくぐりぬけてきました。現在八幡神社が鎮座する城址には、本丸の土塁や水堀、塹壕の一部が残っており、往時の面影を今に伝えています。
 このような古い歴史を持つ地域には、他にも歴史の遺産が数多く遺されています。なかでも「独木船(まるきぶね)」は奈良時代末期から平安時代後期に作られた割竹形の船で、すべてが一本の杉から作られ、現存するものとしては日本最大。現在、東田川文化記念館に常設展示されています。
 また、古木・巨木が多いのも藤島地域の特色の一つ。添川地区にある根子杉は、八本の木が、根元が一つの株からなっているという珍しいもの。樹齢350年以上と伝えられています。
 さらに、十文字開拓記念樹などが、地域の人々の目を楽しませてくれています。この記念樹は江戸時代初期、秋田県十文字から移住した人々の開拓成功を記念して植樹されたビャクダンの巨木で、県の文化財にも指定されています。
 このほかにも、発掘調査で発見された貴重な出土品も数多く、町が辿った時の証として、今も息づいています。舎利塔(しゃりとう)と呼ばれる五輪塔型の舎利用器は、出土品としては珍しく水晶でできているもので、透き通った輝きが、駆るかな時を越えて歴史のロマンを呼び起こさせてくれています。

 


藤島地域の伝統芸能

藤島地域内の各地に個性豊かな獅子踊りが保存伝承されています。はるか悠久の昔から、先人たちによって脈々と受け継がれてきた伝統芸能を後世に伝えて、ここに住む人々すべての心をつなぎあわせることができたら・・・。そんな想いを胸に、日々伝統芸能の保存・伝承に励む人がいる。その想いに応えようとする若い人がいる。さまざまな人がいるから受け継いでゆくことができる。藤島の伝統芸能の息吹は、熱い。

獅子踊

 古くから藤島は獅子郷と呼ばれ、現在でも添川、東堀越、谷地興屋、大川渡、渡前、八色木、豊栄などの地域にそれぞれ獅子踊が保存・伝承しています。なかでも、特に添川両所神社御獅子舞は、市の無形文化財に指定され、8月18日の神社例祭時、毎年欠かさず奉納する事で知られています。 信仰的には五穀豊穣や悪疫退散、天下泰平などを願って、その地域の若者によって代々踊られてきました。体力の消耗が激しいため、舞い手のほとんどが20代の若者です。
獅子踊りとともに、藤島地域には「神楽」も伝承されています。なかでも特に有名なのが、古郡地区に伝わる「古郡神楽」。毎年8月15日の池神社例祭の際に、保存会員によって奉納されます。添川地区に古くから伝わる伝統の舞い、両所神社獅子踊り。古郡神楽とともに鶴岡市無形文化財に指定されています。
地域にはこのほかにも、色彩豊かで勇壮活発な踊りが今も脈々と受け継がれています。

 獅子踊り・神楽のくわしい情報


 


藤島地域の特産品

日本有数の米どころ、庄内平野のどまんなか藤島。豊かな自然風土の中、人々のこだわりと情熱が高揚する。
おいしい米をつくりたい。ただそれだけのために。

庄内平野

 穀倉地帯として知られる庄内平野のほぼ中央に位置する藤島地域は、古くから稲作を基幹産業として発展してきました。近年では、独自の粘りとつやが人気の銘柄米「はえぬき」「どまんなか」の発祥の地としても知られています。しかし、最近では、米価の低迷、農産物の輸入自由化、産地間競争の激化と、農業をとりまく状況は厳しさを増しています。そんな時代だからこそ、藤島地域には、農業の持つ可能性や魅力を探求していこうという逞しい農業人たちが動き出しています。米づくりのスタイルも、ただ収穫の多さだけを求めるものから、消費者が求めている品質の高い米づくり、各地のブランド米に負けない個性ある米づくりへと、変わってきています。
 新しい時代の農業への再生を目指し、新品種の銘柄確立や、新たな流通経路の開拓、低コスト化・省力化などに取り組むなど経営感覚を取り入れる一方、土づくりから肥料、細かい栽培方法までこだわりの米を作って、藤島ならではの銘柄米を生み出していこうと、多くの農業関係者たちが日夜奮闘しています。
 どこよりもおいしい米を作るために、また、若い人がやってみたいと思えるような魅力ある農業の確立へ、藤島の探求は、これからも続きます。 『はえぬき』『どまんなか』などの優れた品質の庄内米を生んだ藤島地域。
 日本一おいしい米づくりを目指す農家の人々のあくなき情熱が一粒一粒に込められています。


日本藤島の旨いものは米だけではありません。藤島の人々がそれぞれのこだわりで作り出す逸品の数々。それらは水晶のように美しい米に負けない輝きを放っています

純米大吟醸 藤島  豊かな大自然がもたらす藤島の特産は、バラエティ豊富な逸品揃いです。素材の良さを最大限にいかし、丹精込めて作られた品々は、「藤島ブランド」と呼ぶにふさわしいもの。
 とりわけ、採れたて新鮮な里の幸を漬け込んだ漬物は、素朴ななかにも手作りの温もりを感じさせてくれる古里の味として人気があります。
 また、和洋菓子も故郷の懐かしい香りや味わいを感じさせてくれます。新鮮な牛乳から作られる乳製品もお薦めです。特にアイスクリームは、ごまやだだちゃ豆を使ったものなど、庄内ならではの個性的でユニークなものに人気が集まっています。さらに、健康志向にマッチした商品として、モロヘイヤ入りの麺や、鶏卵などが挙げられます。この鶏卵は栄養価が高く、これから作られる卵油は、健康食品として全国から注文が舞い込んでいます。
食品以外にも、藤島のシンボルである「ふじ」を取り入れた陶器などの「ふじグッズ」が、新たな藤島のお土産品として注目されています。

 


広がる友情 〜北海道名寄市

明治時代の北海道開拓が縁で、平成八年八月姉妹都市の盟約を結んだ「旧藤島町」と「名寄市」。はるかな時を越え、距離を越えて、友情の絆はますます深いものになっています。

少年少女相互交流の写真

 名寄市は北海道の北部にある人口約二万八千人の都市です。国内最北端の水田耕作地として、また日本一のアスパラの生産地として知られています。その名の由来は、アイヌ語の「ナイ・オロ・プト」(渓流のそそぐ口)からきたと言われています。
 明治中期、添川出身の太田豊治を団長とする移住団が、現在の曙地区に開拓を始めました。当時は、巨木やクマザサで覆われた荒地で、幾多の艱難辛苦の末に、国内最北端の水稲耕作地としての礎を築きました。その後着実な発展を遂げた名寄市では、開基90周年目の平成2年、名寄市開基90周年市制施行35周年記念式典に旧藤島町長が訪問するなどの交流が始まり、平成8年旧藤島町との間に姉妹都市の盟約が締結されました。平成6年からは、少年少女交流事業なども行われています。名寄市では平成8年に「名寄・藤島交流友の会」が発足しておりますが、藤島地域でも平成10年3月26日に「藤島町名寄交流友の会」(太田石雄会長)の設立総会が開かれ正式に発足しました。
 平成16年4月現在の会員数は125人となっており、友の会では、鶴岡市との合併後もお互いの住民が歴史や文化への理解を深め、更なる交流を続けていくことを再確認しました。

名寄市ホームページへ