特集 松ヶ岡開墾150年  1872年の夏、旧庄内藩士たちは月山の麓の広大な山林にいました。彼らはどんな思いでこの地に立っていたのでしょうか。  鶴岡の近代化の礎となった松ヶ岡の開墾。そして今なお受け継がれる開墾の精神。松ケ岡地区の住民のお二人にお話を伺いながら、松ヶ岡開墾場に息づく物語をたどります。  ◆問合せ 羽黒庁舎総務企画課☎26‐8771 開墾の精神や意義を次の世代に伝えたい。 堀 誠 ほりまこと さん 松ヶ岡開墾場理事長。長年同開墾場の理事や副理事長を務め、平成30年から現職。高祖父が開墾士。  当時、開墾する所はくじで決めたといいます。番号の若いくじを引いた組から順に場所を選んでいった。簡単な所から選ぶこともできたはずですが、彼らはそれを決してしなかった。開墾が難しい所を我先にと選んでいったのです。  そこには、松ヶ岡開墾場綱領にある〝産業を興して国家に報じ、以て天下に模範たらんとす〟という言葉通りの気持ち、庄内藩の武士としての誇りがあったのだろうと思います。  松ヶ岡の開墾は、明治時代に全国各地で行われた「士族授産」という言葉では語り切れないものです。開墾の歴史、精神や意義は、何もしなければ、時がたてばたつほどに薄れていってしまう。それを次の世代、未来を担う子供たちに伝えていくのが、今を生きる私たちの使命だと思っています。  開墾150年を迎えた今年、松ヶ岡の持つ歴史や文化・伝統を改めて学びながら、開墾に従事した人たち、また、それ以降もいろんな苦労を重ねて松ヶ岡の維持・発展に尽力してくれた人たちに感謝を伝える年にしたいですね。 蚕室の様子。庄内一円から従業員が集まり養蚕に携わった。昭和7年には、約200人が蚕室に宿泊し、養蚕業に従事するなど、活気に満ちた一大養蚕場だった。 養蚕の先進地である群馬県島村(現・伊勢崎市境島村)に研修に赴き、学んできた技術で蚕室を建設。棟梁は旧西田川郡役所や旧鶴岡警察署庁舎を手掛けた高橋兼吉らが務めた。 先人たちが切り開いた土地を守りたい。 金子 涼子 かねこりょうこさん ㈱松ヶ岡農場代表取締役。松ヶ岡開墾場の歴史と開墾の精神を大切にしながら、庄内柿や桃、枝豆やアスパラガスなどの生産に取り組む。  「松ヶ岡」と聞いたとき、やはり多くの方が養蚕や絹産業のことを連想すると思います。でも、実は開墾した土地では、明治時代から柿などの庄内を代表する農産物も作られてきたんですよ。   今年、開墾150年の節目を迎えましたが、開墾の歴史、精神や意義は、今、松ヶ岡に暮らす人だけのものではないはずです。明治の初め、多くの旧庄内藩士たちの手によってこの地が切り開かれていきましたが、開墾には庄内全域の人たちの応援、協力がありました。それが鶴岡そして庄内の近代化につながっていったのです。  時が流れ、養蚕業が一つの区切りを迎えても、松ヶ岡では様々な農産物が作られ続け、開墾した土地は、荒れることなく現在まで大切に受け継がれています。私たち松ヶ岡農場も、先人たちが苦労して切り開いたこの地を守り続けたいという思いを常に持ち、農業生産法人としてまい進していきます。  絹産業以外の松ヶ岡の歴史・魅力も、ぜひ知ってくださいね。 庄内の秋を代表する味覚の一つ「庄内柿」。種がなく四角い形をしているのが特徴で、松ヶ岡の特産品として人気。 8月は桃の最盛期。松ヶ岡の土壌は月山の火山灰が含まれ、排水性が高いため、桃や柿の栽培に適しているといわれる。 令和2年にオープンしたワイナリー「ピノ・コッリーナ」。建物の裏手には雄大なブドウ畑が広がる。 明治5年、夏。約3、000人の 旧庄内藩士たちは、月山の麓に広がる後田山(現・羽黒地域松ケ岡地区)の原生林に立っていました。  彼らが手にしていたのは、刀ではなく鍬。戊辰戦争に敗れた旧庄内藩士たちは、この日から開墾士として、わずか2年間で311ha(東京ドーム約66個分)もの山林を切り開いていきます。  開墾には庄内一円から物品や財政的な支援が寄せられたほか、多くの農民が協力し、明治7年には、開墾した土地に桑が植え付けられ、その後、明治10年までに、10棟の大蚕室が整備されるなど、この地の風景は一変しました。  そこから養蚕・製糸業が興り、絹産業が大きく発展し、それに伴って鉄工業、電気・ガス業、金融業などが花開いていきます。また、人材育成のための染織の学校(鶴岡工業高校の前身)や、 縫製の学校(鶴岡中央高校の前身)が設立され、産業の発展を支えました。  松ヶ岡の開墾は、鶴岡の近代化の礎となるものでした。 武士の誇りが開墾を成し遂げた  重機などがなかった時代、大木を切り倒し、根を掘り起こし、地面をならしていく作業は、並大抵の労働ではなかったはずです。それでも、わずか数年で広大な土地の開墾を成し遂げ、この地に日本最大級の蚕室群を築くまでに至ったのは、当時の一大輸出品だった生糸を生産し、日本の近代化に貢献することで、戊辰戦争で着せられた賊軍の汚名を返上しようという、彼らの強い思いがあったからだといいます。  また、明治7年には、西郷隆盛から 「気節凌霜天地知」(「苦労は語らずとも天と地が知っている」「人は困難を乗り越えて大きく成長する」の2つの 解釈が伝わる)の箴(※)が贈られています。戊辰戦争後、厳しい処罰を覚悟していた庄内藩ですが、実際に下された処分は極めて寛大なもの。その指示をしたのは西郷隆盛だったのです。その西郷から贈られた言葉が、開墾士たちの心の支えになったと伝えられています。 受け継がれる開墾の精神  「松ヶ岡開墾場は徳義を本とし、産業を興して国家に報じ、以て天下に模範たらんとす」「気節凌霜天地知の箴は、我が松ヶ岡の精神なり」。  松ヶ岡開墾場綱領の一節です。西郷隆盛から贈られた言葉が盛り込まれ、開墾の精神が記されたこの綱領は、大正15年に制定されました。  毎年4月7日の開墾記念日に、関係者全員で唱和されるなど、今もなお大切に受け継がれています。 庄内柿の歴史は松ヶ岡から  松ヶ岡では、明治28年、開墾に参加した旧庄内藩士で、果物の栽培研究などをしていた酒井調良の薦めで、種無し柿の栽培が開始されます。「調良柿」と呼ばれたその柿は、渋抜き方法などの改良が重ねられ、大正14年、当時の皇太子殿下に献上されたことをきっかけに「庄内柿」という名前に。  時代の移り変わりとともに、桑の量がそれほど必要なくなると、昭和8年には、これまで桑畑だった所を柿畑に転用します。それをきっかけに、松ヶ岡は庄内柿の一大産地となりました。  その後、昭和11年には西洋梨の栽培が試みられ、昭和59年には桃の栽培が始められるなど、松ヶ岡は果樹の産地としても知られるようになっていきます。また、令和2年には民間のワイナリーがオープン。新たな取り組みも始まっています。  松ヶ岡では、かつて広大な桑園だった所が水田や畑、果樹園として利用され、開墾士たちが切り開いた土地は、人々の手で、現在も守られています。 明治の面影を今に残す松ヶ岡  松ヶ岡開墾場は、開墾の本部として使われた本陣や、10棟建てられた蚕室の内5棟が明治初期の姿で残り、開墾当時の面影を今に伝えています。  また、松ケ岡地区では、明治20年に始まったとされる住民総出で行う茅刈りや雪囲いといった作業が今も続けられ、開墾が始まった当時に育まれた共同の精神が引き継がれてきています。  明治の初めに開墾士によって形作られた集落の中で、歴史的な建物や開墾地の景観、開墾の精神が今もなお継承されているのは、全国でも松ケ岡地区だけといわれています。  こうした有形無形の歴史的・文化的な遺産や物語性は高く評価され、平成元年に国指定史跡、平成21年に近代化産業遺産群に指定。また、平成29年には日本遺産に認定されています。 松ヶ岡に吹く風は永遠に  4月7日、開墾記念日。澄んだ風が満開の桜の花びらを揺らす松ヶ岡開墾場に、地区住民の皆さんの手によって、1つののぼり旗が立てられました。  松ヶ岡に東北農家研究所(現・東北振興研修所)を創立した菅原兵治氏から、開墾80年に当たる昭和26年に贈られた旗を新しく染め抜いたものです。  「松風萬古」(松ヶ岡に吹く風が永遠であるように)。〝松風〟には松ヶ岡に吹く清らかな風と、脈々と受け継がれてきた開墾の精神や気風という、2つの意味が込められているといいます。  松ヶ岡の開墾の精神は永遠に─。  旧庄内藩士たちによる松ヶ岡の開墾は、今の私たちの暮らしの礎となるものでした。開墾150年を迎えた今、松ヶ岡の歴史、そして、開墾が果たした意義や先人たちの思いを改めて学び、未来へと受け継いでいきましょう。 鶴岡の絹。その物語を紡いでいく。 明治時代の面影を今に伝えている松ヶ岡開墾場。  平成29年には、松ヶ岡の開墾から始まった鶴岡の絹にまつわる歴史的な価値や魅力に基づくストーリーが認められ、「サムライゆかりのシルク 日本近代化の原風景に出会うまち鶴岡へ」が日本遺産に認定されています。  また、市では平成31年3月に「史跡松ヶ岡開墾場保存活用計画」を策定。松ヶ岡開墾場の持つ景観、絹産業、食などの多様な地域資源を生かし、価値と魅力を引き出しながら、新たな産業創出や地域活性化に取り組んでいます。現在は、来年4月のオープンを目指し、松ヶ岡開墾場内の4番蚕室で、鶴岡の絹産業の歴史を振り返りながら、学びや体験などができる施設の整備を進めています。  今年度は、開墾150年を記念したイベント等も実施。ぜひ松ヶ岡に足を運んでみてください! 開墾150年記念事業のお知らせ ○問合せ 羽黒庁舎総務企画課☎26‐8771 ★松ヶ岡開墾150年記念 須藤玲子氏特別展示会  サーキュラー・デザイン─kibisoはつづく─  日 時/9月18日(土)~10月17日(日)9:00~16:00(初日は14:00から。水曜定休)  会 場/松ヶ岡開墾場2番蚕室 ★松ヶ岡開墾150年記念 トークショー  シルクの可能性と未来 松ヶ岡から世界へ  日 時/9月18日(土)14:00  会 場/松ヶ岡開墾場5番蚕室  対 象/庄内地域在住の方100人(ライブ配信あり)  出 演/須藤玲子氏(テキスタイルデザイナー)中山ダイスケ氏(東北芸術工科大学学長) ★松ヶ岡開墾150年記念 松ヶ岡クラフトフェス  日 時/9月19日(日)10:00~16:00・20日(月)10:00~15:00  会 場/松ヶ岡開墾場  内 容/様々な分野の作家こだわりの作品の展示・販売。ピノ・コッリーナのフードマルシェ同時開催 【「kibiso」ブランドで鶴岡シルクを発信】 ▶2番蚕室内では鶴岡のシルク製品ブランド「kibiso」を展示・販売している。同ブランド開発に携わったテキスタイルデザイナーの須藤玲子氏がデザインを手掛けた製品が数多く並ぶ。キビソとは、蚕が最初に吐く糸のこと。