慶應義塾大学先端生命科学研究所開設20周年記念 新春座談会 慶應先端研と鶴岡のまちづくり 地域の人口減少が続く中、次の世代を担う人材と魅力ある産業を育てる基盤を作るため、 2001年に慶應義塾大学先端生命科学研究所(慶應先端研)が開設されました。そして、 山形県と鶴岡市では、慶應先端研を核とした研究プロジェクトを支援することで、地域を担う人材の育成や知的産業の創出に取り組んできました。 今回は本市のバイオサイエンスを核としたまちづくりに貢献いただいてきた3人の先生を迎え、オンラインで座談会を開催しました。 ■問合せ 本所政策企画課☎35‐1184 慶應義塾大学先端生命科学研究所  所長 冨田 勝 氏 慶應義塾大学工学部卒業後、米カーネギーメロン大学に留学し、コンピュータ科学部で博士課程修了。同大学准教授、同大学自動翻訳研究所副所長を歴任。1990年慶應大学環境情報学部助教授、教授、学部長(2005年~2007年)を歴任。2001年慶應義塾大学先端生命科学研究所(慶應先端研)所長に就任。 慶應先端研開設以来20年間、所長として生命科学と情報科学を融合した「システムバイオロジー」という分野で世界をリードし、最先端の生命科学研究、未来を担う研究者の育成、ベンチャー企業創出など、本市の活性化に多大なる貢献をしていただいている。 国立がん研究センター先端医療開発センター  センター長 落合 淳志 氏 広島大学医学部卒業後、病理学大学院に進学。独ハノーバー医科大学研究員を経て、1991年国立がん研究センター(がんセンター)で消化器病理の診断と細胞間接着分子の研究を開始。1998年同センター研究所支所臨床腫瘍病理部部長、2014年研究所副所長を歴任。2016年先端医療開発センター長に就任。 がんセンターの鶴岡連携研究拠点の総括責任者として、研究者の指導、運営全般に携わる。がん研究・診療を基盤とした医療体系を、鶴岡を拠点に構築して、日本の新しい地域医療のモデル作りにつなげようと尽力いただいている。 NPO法人 産学連携推進機構  理事長 妹尾 堅一郎 氏慶應義塾大学経済学部卒業後、民間企業勤務、英ランカスター大学経営大学院博士課程を経て、慶應義塾大学、東京大学、九州大学、一橋大学、長野県農業大学等で教授等を歴任。日本知財学会理事。研究・イノベーション学会参与(元副会長)、コンピュータ利用教育学会終身会員(元会長)。内閣知的財産戦略本部専門調査会会長、農水省技術会議委員等を歴任。 慶應義塾の「鶴岡タウンキャンパス(TTCK)」設立に当たって、そのコンセプト作りをはじめ、TTCK市民ワークショップ座長として、市民とともに、地域振興に結び付くビジョンやアイデア作りに貢献いただいた。 鶴岡市長 皆川 治 一同 明けましておめでとうございます。 市長 2001年4月に慶應義塾大学先端生命科学研究所(慶應先端研)が開設してから、昨年で20周年という節目を迎えました。  市ではこの20年間、慶應義塾、山形県、鶴岡市の3者による協定に基づき、バイオサイエンスを核としたまちづくりを進めてきました。また、2019年には、10年間のまちづくりの指針となる「第2次鶴岡市総合計画」を定めて、慶應先端研やベンチャー企業の集積といった強みを生かし、付加価値の高い地域産業や魅力ある仕事作りに取り組んでいるところです。  今日は、慶應先端研開設に当たって、当時、慶應義塾と鶴岡とのつながりを楽しく考える市民ワークショップの座長を務めていただいた妹尾堅一郎先生にモデレーター(司会進行)をお願いして、「慶應先端研と鶴岡のまちづくり」をテーマに、これまでの20年間を振り返りながら、これからの鶴岡の未来を展望してみたいと思います。 妹尾 あれから20年たったんですね。 びっくりしています。  慶應義塾では、慶應先端研を、鶴岡タウンキャンパス(TTCK)と位置付け、私は当時、このキャンパスの設立に向けて山形県、鶴岡市と話を進めてきました。今日は、冨田先生と落合先生のお話を「おおっ!」と驚きながら伺いたいですね。 慶應先端研はなぜできた? 妹尾 まず最初に、慶應先端研がどのような経緯で鶴岡に開設されたか、私から紹介したいと思います。  高度経済成長からの長い間、地域振興の形は、大企業の工場などを誘致する策が主でした。それが、90年代に入り、大学などの教育研究機関、いわゆる知的機関の誘致による地域振興という考え方が広がってきたんです。慶應義塾の鶴岡へのキャンパス開設もその一環でした。  実は当時、慶應には多くの自治体からお誘いがありました。その度に、私は特命大使のように、各自治体に行って話を伺っていたのですが、知的機関を呼ぶことの意味を一番深く理解してくれたのが鶴岡だったんです。  鶴岡には、庄内藩の時代から続く伝統があり、その上に育まれた厚みのある文化があります。また、海・山・川 ・平野がある豊かな自然環境もあり、 そして何より市民の皆さんがすばらしかった。皆さん教養が深くて、文化人の方ばかりだという印象です。  当時の富塚陽一市長も「こういうのはどっしり構えて、じっくりやるべきだ」と言ってくださり、心強く感じました。また、1999年には、市民の皆さんが中心となって「TTCK支援研究会」という組織を立ち上げて、我 々の活動を応援してくれたんです。  そういうところが魅力的で、鶴岡にキャンパスを作ることになりました。  冨田先生は、鶴岡の話を聞いたとき、どうお考えになりましたか。 冨田 慶應義塾の塾長と常任理事から、鶴岡新研究所の所長に任命されたのは、私が42歳のときでした。私自身は東京生まれの東京育ち、アメリカ在住10年という経歴で、山形県には縁もゆかりもなくて。最初は本当にどうなるかと思いました。今サイエンスパークになっている場所は一面の田んぼでしたし。  当時、研究内容も採用人事も研究所の名前も、全部冨田君が決めていいから、と言われました。そこで、当時では珍しかった「IT+バイオ」という強いコンセプトを打ち出して、世界でも唯一無二の研究所にしようと考えたんです。  田んぼの中にできた2階建ての小さな建物で、十数人の体制で研究がスタートしました。その後20年間で、サイエンスパークがこんなに発展するとは、私自身も想像していませんでした。 妹尾 当時は知的機関を地域振興につなげるというパターンが少なくて、市民の皆さんもイメージしにくかったのではないかと思いますよね。 冨田 確かに、大学を誘致したと言っても、十数人の研究所ですからね。それを誘致したメリットについて疑問に思う方も少なくなかったと思います。  その流れが変わったのは、2013年のヒューマン・メタボローム・テクノロジーズ㈱(HMT㈱)が上場したことと、スパイバー㈱が人工クモ糸で作った青いドレスを発表して全国ニュースになったことだと思います。地方に知的産業をゼロから作るというのはこういうことなのかもしれない、と理解し始めてくれた。10年以上掛かりました。  私自身は、ここ鶴岡でサイエンスによる地方振興の日本の成功例を作る、という強い気持ちで20年間やってきましたし、今もその気持ちに変わりはありません。 国立がん研究センター連携拠点の開設 妹尾 落合先生が鶴岡や慶應先端研と関わるようになったきっかけは何だったんでしょう。 落合 7年前、国立がん研究センター(がんセンター)の研究所の副所長をしていたときでした。政府関係機関の地方移転の一環として、がんセンターの研究所を鶴岡に設置する話を頂いたのがきっかけですね。 妹尾 国の研究機関の地方への移転は、 次々に進められているんですか。 落合 研究機関はほとんど進んでいないと思います。前例が余りないので、 移転の話があったときは、がんの研究をするのに、自分たちの病院・患者から離れた場所で何ができるだろうと、いろいろ考えを巡らせました。  そこで、冨田先生の慶應先端研が持つ、世界最先端のメタボローム解析技術を使って、がんの患者をどんどん解析してみようということになりました。  そして、2017年に鶴岡市先端研究産業支援センター(TMeC)内に、がんセンターの鶴岡連携研究拠点がんメタボロミクス研究室を開設し、鶴岡での研究がスタートしました。 妹尾 なるほど。がんセンターの研究拠点の鶴岡への移転も、先進的な取り組みだったということですか。 落合 これから20年~30年、高齢化が進んでいく日本の社会の中で、ここのメタボローム解析を中心にした考え方を医療に取り入れて、社会実装できるようになればと、研究を進めているところです。 妹尾 「社会実装」、つまり技術が社会に実際に役に立つように、サービスや製品となって展開していくことですね。 落合 そのとおりです。医学は、研究の成果をどのように社会に実装していくかが、極めて重要なんですよね。 〝鶴岡だから〟できること 落合 がんセンターは、がん医療を担うと同時に、今後の日本の医療をどうしていくかを考えるのが仕事なんですが、鶴岡はその実証の場になると考えています。  日本全体が高齢化していく中で、鶴岡はそれに先んじて高齢化が進んでいる。10年後の日本をイメージしながら医療の在り方を考えていくには、鶴岡はとても良いフィールドなんですよね。 妹尾 これから日本の課題になってくるであろうことを先んじて捉えるために最適な場所。課題先進地としての鶴岡に意味があるということですね。 冨田 本来、研究とか学問とか芸術といったクリエイティブな仕事は、鶴岡のような地方都市でやるものだと思います。欧米の有名な大学や研究所の多くは地方にあります。イギリスのオックスフォード大学やケンブリッジ大学、それからアメリカのシリコンバレーも地方都市にあります。  クリエイティブな仕事は、人がたくさんいる大都会ではなくて、自然豊かな地方でやる方がいいと、私は確信しています。  IT+バイオという、当時斬新だった理念に賛同して鶴岡に移住してきた人は、腹の据わった人ばかりで中途半端な人がいなかった。だから、一緒に地酒を飲みながら研究の話をしても盛り上がって面白かったですよ。 落合 私も似たような経験があります。  がんセンターが、千葉県の柏市に、国立がん研究センター東病院(東病院)を作って、今年で30年を迎えるんですよ。東病院が開院して2年後に、そこに研究所ができることになって、私は研究員として配属されました。  当時、研究員は12人。タヌキや野ウサギがぴょこぴょこ歩いているくらい周りには何もなかったので、毎日、仕事が終わったら、みんなで酒盛りをして、我々は何のために研究をしているんだっていう議論を随分しましたね。 冨田 東京から簡単には通えない距離感っていいんですよね。中途半端な覚悟ではやって来ませんから。  鶴岡の方は謙虚なので、「鶴岡でもこんなことができるんですね」とおっしゃるんですけど、「鶴岡でも」じゃない。「鶴岡だから」なんですよ。 妹尾 地方都市だからこそできるクリエイティブな仕事。実際に、慶應先端研では次々と良い成果が出ていますよね。特にメタボロームの研究では世界的な評価を得られるようになった。加えて、慶應先端研発のベンチャー企業が次々と生まれていますよね。 冨田 2003年に創業したHMT㈱は私も共同創業者になっていますが、その後に起業した、例えばスパイバー㈱や㈱サリバテックなどの慶應先端研発のバイオベンチャー企業は、本当に創業者それぞれの個の行動力と突破力で今に至っています。  じゃあ、なぜその突破力が生まれるのか。それは、自分たちの持つ技術を社会実装することが、世の中にとって本当に重要だと思っているからです。もうかる・もうからないは別にして、自分の人生を懸けてやるだけの価値があると本気で思っている。  やはり、人類や社会に貢献する企業に成長するためには、そういう志が大切なんだろうと思います。 妹尾 今、お2人の先生が共通しておっしゃったのが、目先の利益だけを見て短期的に成果を挙げるのではなく、 長期的な視点で技術や研究成果の社会実装を目指すことが大切。そして、それができる土壌が鶴岡にはあるということです。  これは鶴岡が、日本に、そして世界に貢献できる可能性を秘めていることを意味していると思います。 市長 実は今、落合先生にはクラゲの研究をしていただいているんです。それには私もすごく期待をしています。  皆さんご存じの加茂水族館は、令和7年度に、リニューアルする予定です。そのときには、研究施設を改築の目玉にして、クラゲを見せるだけではなく、研究面でも活用していこうと考えています。これは鶴岡だからこそできることです。今も十分注目されていますが、今後もっと注目を集める水族館にしていきたいですね。  一昨年、ふるさと納税をしてくれた方への返礼品の中に、㈱サリバテックのサリバチェッカー(だ液がんリスク検査採取キット)を加えました。これは1つの事例ですが、やはり、この鶴岡だからできるコト、体験がある。  でも、それを提供する仕組み作りがまだ追い付いていなかったり、それに気付いていない場合もあります。  そういった鶴岡ならではのラインナップをどんどん増やしていきながら、行政も長期的な視点で物事を捉えていく。そういう考え方が大切でしょうし、今後の課題でもあると思っています。 持続可能なまちづくりのために 妹尾 今、鶴岡の皆さんが心配しているのは、冨田先生がいなくなっても、 慶應がしっかり関係を維持してくれるのかということだと思います。 冨田 私は、慶應の定年まであと1年数か月なのですが、その後も鶴岡サイエンスパークの仕事は続けます。これは私にとってライフワークですからね。  鶴岡を日本の成功例にすると公言しているので、当然、定年後のことも、誰よりも真剣に考えています。  この20年間、慶應先端研では「普通は0点」というスローガンを掲げてきました。普通のことはほかの人に任せて、自分たちにしかできないことをやろうと言っています。  サイエンスの源泉は好奇心なんですよね。知りたいからやる。誰もやっていないことをやってみる。そういう人材が数多く育っています。 妹尾 今の一言は、市民の皆さんにとって非常に心強いですよね。冨田先生の後に続くような人材が慶應先端研にはたくさんいるんだと。  落合先生は、がんセンターの研究拠点の展望をどのようにお考えですか。 落合 実は、私もあと数か月で定年を迎えます。ただ、やはり私が責任を持って進めてきたことですから、がんセンターがこのまま鶴岡でしっかりと研究できるようにしたいと考えています。  先ほど、これからの医療を考えていくに当たって、鶴岡が良い実証の場になると言いましたが、こうして鶴岡という研究フィールドを持つことができたのは、がんセンターにとって非常に重要なことです。  鶴岡に拠点を開設してから、様々なことを提案させていただいていますが、とりわけ荘内病院の先生方が協力してくださって、一緒にどんなことができるかを考えてくれています。  2020年の7月には、東病院と荘内病院が、がん医療に関する連携協定を結びました。  この鶴岡との連携の中で、世界を変えるような新しいものが生まれれば、鶴岡に拠点を設けていることの意義がすごく出てくると思いますし、全国に研究拠点を広げるためのモデルになると考えています。 妹尾 落合先生も鶴岡の研究拠点が、持続可能なものとなるよう努力をされているとのことですね。 市長 私の手元に、2001年1月号の広報「つるおか」があります。  TTCKが開設される直前、妹尾先生にも出席いただいた新春座談会で、当時の富塚市長が「鶴岡は新時代にふさわしい新たな城下町として生まれ変わるのに相違ありません」とおっしゃっています。今、先生方のお話を伺って、まさにその通りになってきていると感じます。  鶴岡は、今年で酒井家庄内入部400年を迎えます。また、出羽三山は1400年の歴史があります。こうした伝統的なものと、創造的なもの、つまり新しいチャレンジが融合して、これからの鶴岡がつくられるんだと改めて認識しました。  これを更に発展させていくために、私たち行政がやらなければいけないことが3つあると思います。  1つ目は、環境整備です。補助金、税制、金融などのソフト面の整備と建物などハード面の整備。この両面から環境を整えていく必要があります。市ではこれから、TMeCのレンタルラボの20室増設や新しい産業用地の開発に取り組んでいきます。  2つ目が、果実の活用です。慶應先端研やがんセンターがあることによってもたらされる、市民の健康・医療面でのメリットをどう活用していくか。また、シティプロモーションという点でも、慶應先端研・がんセンターとともにまちづくりを進めていることを生かしていくことが重要だと思います。  3つ目が、市民の皆さんへの周知です。今、バイオサイエンスによる鶴岡のまちづくりが、国の地方創生のモデルケースとして取り上げられていますが、その経済効果や人材育成面の効果など、引き続き、分かりやすくお知らせしていく必要がありますね。 鶴岡をもっとエキサイティングに 妹尾 20年前、慶應先端研の開設で始まった、バイオサイエンスによる鶴岡のまちづくり。最初に種をまいたのは我々でしたが、その後、見事に開花させてくれたのが冨田先生、そして現在はがんセンターの落合先生がそこに加わっていらっしゃる。  最初に、知的機関を呼ぶことの意味を一番理解してくれたのが鶴岡だったと言いました。つまり、鶴岡の事例を、単純に形式だけほかの自治体に横展開しても、うまくいくとは限らないのではないかと私は思っています。 落合 私もそれを感じています。医療は、その提供体制など、最終的にシステム化されなければならないのですが、そのときには、特に行政や医療機関とコミュニケーションを密にする必要があります。ここ数年、鶴岡の方々と話をさせていただいて、自治体としてのレベルの高さをすごく感じています。  がんセンターとしては、研究成果を社会にどれだけ還元できるかという、 社会実装の部分を、今後もっと発展させていく必要があると考えています。 それに成功すれば、鶴岡の拠点を永続化することも夢ではないと思います。    それを目指して、市民の皆さんや行政の皆さんと一緒になって、引き続き取り組んでいきたいですね。 冨田 今、どこの自治体も人口減少を食い止めるために、いろんな方策を考えていますが、最も重要なことは、そこに魅力的でエキサイティングな仕事があるかどうかだと思うんです。どんなに魅力的な地域でも仕事がなければ、若者は東京に行くしかないと思ってしまいます。  だから、地域の魅力を伝えつつも、いかにエキサイティングな仕事を増やすかを考える。ベンチャー企業を創業することや、既存の地元企業も工夫してエキサイティングな仕事を増やすことが大切だと思います。  新産業を作り出すには、やはり20年~30年は掛かります。目先の損得だけの取り組みばかりしていては、長い目で見たときに、街は発展していかないと思いますよ。  そして大谷翔平選手のようにホームランを打つためには、三振を恐れてはいけない。今、鶴岡にしろ、地方都市に必要なのはホームランだと思うんです。少なくとも何かの分野では日本一で、東京も足元にも及ばない、というホームランを狙う。  地方が日本の看板になるんだという意気込みがなければ、絶対に東京を超えることはできないです。  あと、鶴岡の皆さんは謙遜して「うちのまちは田舎で、何にもないんです」 と言うことがあるんですけど、東京の人は真に受けますのでやめましょう(笑)。「我がまちはすごいんだぞ!」と真顔で言ってほしいです。 未来に向かって走り続ける 妹尾 今日お話を伺って、TTCKが開設して20年たったことに改めて感激しています。そして、皆さんはこの先の未来のこともしっかりと考えていらっしゃった。それは3つのことを意味していると思います。  1つ目は、連綿と続いてきた鶴岡の歴史の中に慶應先端研が組み込まれ、そして、それが「慶應先端研と言えば鶴岡」というように、鶴岡ブランドの構成要素になっているということです。  2つ目が、この20年間で成熟したものと、次の成長の種として生まれたものが、幾重にも重なり合って今があるということです。  慶應先端研と冨田先生は、企業誘致が地域振興のトレンドだった時代に、地域に知的機関が入ることのモデルを作った。しかも、そこではサイエンスをベースにした長期の研究が行われ、育った人たちは、自分たちの成果を社会実装するために動き出している。  一方で、落合先生のがんセンターは、国の研究機関が地方に移転するという新しいパターンの中で鶴岡に来て、更に、鶴岡を国の課題を先進的に捉えるための実証フィールドと位置付けて、プロジェクトを進めている。  これを同時に受け入れているというのは、実はすごいことなんですよ。  そして3つ目です。それは、次の走者にバトンを渡すためのバトンゾーンに入ったということです。  行政や企業は計画を作るときに、よく「短期」「中期」「長期」という計画の作り方をすると思います。短期というのは「今のモデルで頑張ること」、長期というのは「モデルを全く変えること」です。では、「中期」とは何か。 それが今のモデルと将来のモデルが重なる、まさに「バトンゾーン」のことを言うんです。  お2人の先生が、次の世代にどうバトンを渡してくださるのか、市民の皆さんは期待を込めて見守ってください。  そして、私も鶴岡応援団の1人です。鶴岡がこの先、どうなっていくのか、大変楽しみにしています! 市長 1970年代に「地方の時代」 というスローガンが唱えられ始めて半世紀ほどたちました。裏を返せば、およそ半世紀前から、いかに地方を活性化するかという課題が持たれていたということです。  そういった意味では、この慶應先端研やがんセンターと連携した鶴岡のまちづくりが、地方活性化のモデルになることは、国と地方をめぐる関係の中でも画期的なことですよね。  先ほど、冨田先生からエキサイティングな仕事というお話がありましたが、働く場の確保に関連した話をするとき、私はよく「多様で質の高い雇用の場」 と言っています。そのような雇用の場を作っていければ、鶴岡がもっともっと元気になることにつながります。  市では、この慶應先端研そしてがんセンターとの連携を、鶴岡にとっての大切な成長エンジンと位置付けています。私たち行政も、関係者と一丸になって、引き続きこのまちづくりの取り組みを前に進めていきたいと思います。  今日は、先生方の貴重なお話を聞かせていただき、とても勉強になりました。どうもありがとうございます。 一同 ありがとうございます。 Point 慶應義塾では、21世紀への変わり目に、3つのリサーチキャンパスを設けました。 ●新川崎タウンキャンパス(K )…2000年・神奈川県 ●丸の内シティキャンパス(MCC)…2001年・東京都 ●鶴岡タウンキャンパスオブ慶應(TTCK)…2001年・鶴岡市 国立がん研究センター鶴岡連携研究拠点 がんメタボロミクス研究室 国の政府関係機関の地方移転の方針によって、2017年4月に 開設されました。国立がん研究センター(がんセンター)、慶應義塾、山形県、鶴岡市の4者による連携協定の下、研究成果の事業化、医療分野のクラスター形成を目指しています。 現在2つの研究チームが、がんセンターと慶應先端研の双方の強みを生かした共同研究を展開しています。 ●研究テーマ 小児がんや白血病を引き起こす分子メカニズムを探り、新しい薬や診断法を生み出す がん細胞の増殖をコントロールするシステムを明らかにし、効率的で負荷の少ない治療法開発を促進する 慶應先端研開設以降の主なできごと① 2001~2010 だ液検査でがんを高精度で発見する新技術を開発 2010年 「高校生研究助手制度」を創設し鶴岡中央高校生の受入れを開始 2009年 科学技術振興機構「日本が強い技術」にメタボローム解析が選出 2008年 ・スパイバー㈱が設立 ・市民のためのがん情報ステーション「からだ館」が開館 2007年 メタボローム解析で急性肝炎のバイオマーカーを発見 2006年 第1回メタボローム国際会議を鶴岡市で開催(17か国約200人が参加)2005年 鶴岡市先端研究産業支援センターが開設※その後E棟まで拡張(~2017年)。2004年 ヒューマン・メタボローム・テクノロジーズ㈱が設立 2003年 ・メタボローム分析システムの新技術を開発 ・メタボローム分析技術で初の特許取得 2002年 慶應義塾大学先端生命科学研究所が開設 2001年 ▲慶應先端研キャンパスセンター棟(鶴岡公園内) ▲慶應先端研バイオラボ棟(サイエンスパーク内) ▲世界最先端・最大規模のメタボローム解析装置 慶應先端研から生まれたバイオベンチャー企業 ●HMT㈱…世界最先端のメタボローム解析技術を軸に、企業・大学等への研究開発支援やバイオマーカー開発を行う ●スパイバー㈱…人工合成技術を利用した、構造タンパク質素材を開発。新世代の素材として大規模な普及を目指す ㈱サリバテック…意図したがんの早期発見のために、だ液検査を展開。バイオと人工知能の融合で未来型医療の実現を目指す ●㈱メタジェン…採取した便から腸内環境を分析・評価し、層別化ヘルスケアで病気ゼロ社会の実現を目指す ●㈱メトセラ…心不全向けの再生医療等製品の研究・開発を行う ●㈱モルキュア…人工知能(AI)を用いて、優れたペプチド・抗体医薬品の分子設計を行い、医薬品開発を促進する ●インセムズテクノロジーズ㈱…メタボローム解析で扱う質量分析装置の感度を上げる部品の販売を行う Point サイエンスパーク内で生まれた民間のまちづくり会社「ヤマガタデザイン㈱」は、パークだけではなく、地域にとって必要な施設を作ろうと、ホテルや児童教育施設を開設運営しています。 慶應先端研開設以降の主なできごと② 2011~2021 ▲国立がん研究センター東病院と荘内病院の連携協定締結式 ▲高校生バイオサミットin鶴岡の様子 「特別研究生制度」を創設し地元高校生の受入れを開始・高校生バイオサミットin鶴岡を初開催 2011年 鶴岡みらい健康調査を開始 2012年 ・㈱モルキュアが設立・㈱サリバテックが設立 2013年 ・第10回国際メタボロミクス会議が開催(36か国約550人が参加)・ヤマガタデザイン㈱が設立2014年 ㈱メタジェンが設立  2015年 ・鶴岡市が慶應先端研を市政功労者表彰・㈱メトセラが設立 2016年 国立がん研究センター鶴岡連携研究拠点がんメタボロミクス研究室が開設 2017年 鶴岡市内でクマムシの新種を発見「ショウナイチョウメイムシ」と命名 2018年 鶴岡市が慶應義塾との連携による経済波及効果分析を実施 2019年 国立がん研究センター東病院と荘内病院が連携協定を締結 2020年 インセムズテクノロジーズ㈱が設立 2021年 空から見た鶴岡サイエンスパーク 鶴岡サイエンスパークは、2001年の慶應先端研開設以降、研究成果を基にしたベンチャー企業の誕生や研究機関等の進出が進む、研究産業エリアに成長しています。 ヤマガタデザイン㈱キッズドームソライ ヤマガタデザイン㈱ショウナイホテルスイデンテラス スパイバー㈱試作研究棟・本社研究棟 鶴岡市先端研究産業支援センター(TMeC) 慶應先端研バイオラボ棟 Point 鶴岡市先端研究産業支援センター(TMeC)ってなにするところ? 慶應先端研の研究成果を産業に結び付けることを支援するため、ベンチャー企業や研究機関が実験や研究用に活用できる貸室施設として、鶴岡市が開設しました。 現在、62室ある貸室が満室のため、市では今後20室増設し、ベンチャー企業等の活発な活動を更に支援していきます。 鶴岡サイエンスパークがもたらす地域経済への好影響 慶應先端研やベンチャー企業各社など、サイエンスパーク全体の活動が鶴岡の幅広い産業に与える経済波及効果は、年間約30億円と推計されています。 経済波及効果は、ベンチャー企業各社の事業が本格化することで、更なる拡大が見込まれています。 2001年~2017年 2001年 慶應先端研開設 平均額30億円 ベンチャー企業各社の活動が効果をけん引 2023年 見込額48億円 ベンチャー企業各社の事業計画等に基づく推計値 幅広い産業に波及 6.1億円 対事業所サービス ※事業者を対象とした第三次産業 4.9億円 建設業 2.7億円 公共サービス 2.5億円 住宅賃貸業 1.7億円 小売業 1.6億円 卸売業 10.5億円 その他産業 市が山形銀行に委託した慶應義塾連携協定地域経済波及効果分析等業務の調査報告書(2019年)より 【サイエンスパーク関連雇用者数】 2015年 302人 2020年 565人 2015年はサイエンスパーク入居機関・企業へのヒアリングに よる推計。2020年は同機関・企業へのアンケート調査より 【鶴岡市内居住の研究者数の推移】 2000年度 40人 0.08% 2005年度 60人 0.08% 2010年度 80人 0.12% 2015年度 130人 0.20% 市が山形銀行に委託した慶應義塾連携協定地域経済波及効果分析等業務の調査報告書(2019年)より