特集 作家 丸谷才一 丸谷才一(まるや・さいいち)氏は、鶴岡市名誉市民、山形県名誉県民、そして文化勲章を受章した作家です。今年は氏の生誕100年に当たります。  長編小説や英文学の翻訳、洒脱な筆致のエッセイなど、数多くの作品を残し、日本文学に新たな分野を開いた丸谷氏の功績の一部を紹介します。 ●問合せ 本所総務課?35-1114  大正14年、市内馬場町に生まれた丸谷才一氏は、旧制鶴岡中学校(現在の致道館高校)を卒業するまでの18年間を鶴岡で暮らしました。   戦争に強い疑問と嫌悪を抱いていた丸谷氏でしたが、旧制新潟高校の在学中に召集されました。半年後に終戦を迎え復学し、その後東京大学文学部に入学。英文科で現代イギリス文学を研究しました。  卒業後に國學院大學で助教授を務め、英文学者として翻訳・研究を続けながら執筆活動に取り組みました。その後退職して作家活動に専念し、数多くの賞を受賞。長編小説のほか、外国文学の翻訳や軽妙なエッセイ、評論など、幅広い分野で多くの作品を残しました。  さらに、芥川賞はじめ数々の文学賞の選考委員も務め、村上春樹氏を見いだすなど、後進の指導・育成に当たりました。平成23年には、文学界の発展に対する顕著な功績が認められ、文化勲章を受章。平成24年に87歳で逝去しました。 小説やエッセイなど多岐にわたる著作の一部を紹介します 『笹まくら』(河出書房新社) 徴兵を忌避し国内逃亡の経験をもつ主人公が戦後の時代にもまれ、再び放浪へと誘われるまでを描く長編作品 『年の残り』(文藝春秋) 往診患者の少年との交流を通じ、老い・病に直面する病院長の心の動きを浮き彫りにする表題作を含めた短編集 『女ざかり』(文藝春秋) 社説をきっかけに、女性社員が権力との抗争に巻き込まれる姿を描く長編小説。ベストセラーとなり映画化 『挨拶はたいへんだ』(朝日新聞出版) 祝辞や弔辞など、丸谷氏の様々な挨拶文をまとめた本。氏は座談も得意で「文壇三大音声」の1人に数えられた 『思考のレッスン』(文藝春秋) 「どうすればいい考えが浮かぶか」のテクニックを対談形式でまとめたエッセイ。鶴岡での少年期も語られている 本市出身の直木賞作家・佐藤賢一氏から特別寄稿をいただきました 特別寄稿 明るい時代   佐藤賢一  今、令和7年(2025年)は、丸谷才一の生誕100年に当たるという。作家の生年を調べれば、確かに大正14年(1925年)と出てくる。続けて、どんな年だったかと探れば、普通選挙法が制定され、それとセットであるかのように、治安維持法も施行されていた。年表では、大正デモクラシーが行きついた到達点を刻むと同時に、国家が国民を厳しく統制するような重く、息苦しい時代が、その幕開けを宣していたのだ。  実際のところ、世は暗さを増すばかりだった。丸谷才一が6歳を迎えた昭和6年には満州事変が起き、16歳になった昭和16年には太平洋戦争が始まっている。いよいよ日本は戦争に突き進んでいった。昭和20年の3月には、丸谷才一自身が学徒動員で、山形の歩兵第三十二連隊に入れられている。青森に移動していた8月、ようやくの終戦が伝えられたときで、ちょうど20歳だった。  辿るにつけても、禁じえないのは驚きである。後に明るく知的な作風で知られることになる作家が、生まれ、かつ長じた時代にしては、思いがけないくらいに暗いのである。とはいえ、そこからが一変する。丸谷才一は昭和22年に東京大学文学部に入学、昭和25年に英文科を卒業し、以後、英文学の研究者として、評論家として、小説家として、多彩な活動に入る。昭和42年に『笹まくら』で河出文化賞を、昭和43年に『年の残り』で芥川賞を受けてからの活躍は、改めるまでもないところだ。  この間の日本はといえば、戦後の復興期を経て、高度成長期に向かおうとしていた。21世紀、令和の今からみても、明るい時代だ。丸谷才一の文学にふさわしい時代が、ようやく訪れたのだとまとめかけて、思い当たる。もしや逆ではなかったかと。丸谷才一こそ、その文学を通じて、燦々と知性の光を注ぐことで、時代を明るくしたのではなかったかと。生誕100年といわれて、その長い年月を振りかえるほど、そうとしか思われない。 佐藤賢一(さとう・けんいち)  昭和43年鶴岡市生まれ。平成5年『ジャガーになった男』で小説すばる新人賞を受賞。平成11年『王妃の離婚』で直木賞を受賞 生誕100年を記念した事業 記念展示 丸谷才一展 期間  7月29日火曜日?9月28日日曜日 会場  図書館本館 内容  丸谷氏直筆原稿の展示、著作の展示など 問合せ 同館?25-2525 丸谷作品原作 記念上映会 映画『女ざかり』 期間 8月29日金曜日?31日日曜日 会場 鶴岡まちなかキネマ 料金 同館の通常料金 監督 大林宣彦 出演 吉永小百合、三國連太郎、津川雅彦ほか 申込み 8月22日金曜日から同館ホームページで 問合せ 同館? 64-1441 記念講演会 丸谷才一、いつも新しい文学者 日時  9月13日土曜日 午後2時 会場  東京第一ホテル鶴岡 定員  500人(申込み多数の場合は抽せん) 内容  第一部 講演 「俳句と歌仙」    川上弘美氏(作家) 「たった一人の反乱」 松家仁之氏(作家) 「女性が主人公」   湯川 豊氏(文芸評論家) 第二部 座談会 「丸谷才一、人と仕事」 申込?み 7月1日火曜日〜8月20日水曜日に市ホームページで 問合せ 本所総務課?35-1114 年譜 大正14年8月27日、鶴岡市馬場町に開業医の次男として出生 昭和18年 旧制鶴岡中学校を卒業 昭和22年 旧制新潟高校(現在の新潟大学)を卒業 昭和25年 東京大学文学部英文科を卒業 昭和29年 國學院大學文学部助教授となる 昭和35年 処女作『エホバの顔を避けて』を発表 昭和40年 國學院大學を退職 昭和42年 『笹まくら』で河出文化賞を受賞 昭和43年 『年の残り』で芥川賞を受賞 昭和47年 『たった一人の反乱』で谷崎潤一郎賞を受賞 昭和49年 『後鳥羽院』で読売文学賞(評論・伝記賞)を受賞 昭和53年 芥川賞選考委員、谷崎潤一郎賞選考委員となる 昭和57年 読売文学賞選考委員となる 昭和60年 『忠臣蔵とは何か』で野間文芸賞を受賞 昭和63年 『樹影譚』で川端康成文学賞を受賞 平成2年 『光る源氏の物語』で芸術選奨文部大臣賞を受賞 平成3年 『横しぐれ』英訳で英紙インディペンデント外国小説賞特別賞を受賞 平成7年 鶴岡市名誉市民に推挙される 平成10年 日本芸術院会員に選ばれる 平成12年 『新々百人一首』で大佛次郎賞を受賞 平成13年 「小説、批評から挨拶までの広い領域における活動」で菊池寛賞を受賞 平成15年 『輝く日の宮』で泉鏡花文学賞を受賞 平成16年 朝日賞を受賞 平成18年 文化功労者に選ばれる 平成22年 ジェイムズ・ジョイス著『若い藝術家の肖像』翻訳で読売文学賞(研究・翻訳賞)を受賞 平成23年 文化勲章受章 平成24年 山形県名誉県民に推挙される 同年 10月13日87歳で逝去