鶴岡が好きな気持ちは 昔も今も変わらない 人の情景(ひとのじょうけい) scene22 平田 惇 Hirata Atsushi 庄内地域の高校が参加する「平田杯庄内高校野球大会」。平田惇さんは、今年創設100周年を迎える歴史ある大会の名誉会長を務めます。創設者である祖父・吉郎(きちろう)さん、父・貢さん、長兄・正さん、次兄・宏さんに次いで5代目です。 「平田杯は昭和2年に始まり、今年でちょうど100年。私は91回から名誉会長として携わってきましたが、節目となる100回大会は、例年以上にすばらしい大会にしないといけないと思っています」。 平田家の歴史をひもとくと、商家「交野(かたの)屋平田家」が鶴岡に移り住んだのは400年以上前、江戸時代以前まで遡り、そのルーツは伊勢商人であると言います。 「平田家は、酒造業を中心としたなりわいを営んできました。祖父・吉郎の父である安吉は、商人でありながら農業の発展に心血を注いでいました。農業の先進地である九州まで視察に行き、庄内に乾田馬耕を取り入れたと聞いています。その安吉が40歳で急逝し、吉郎が19歳の若さで跡を継いだわけですが、吉郎は鶴岡を発展させることが自分の使命だと考えていたようです」。 その吉郎が創設した平田杯は、「野球を通して青少年の育成と庄内から甲子園へ」という願いが込められていると言われています。 「甲子園への思いもあるのでしょうが、吉郎は″人が喜ぶのが自分の喜び≠ニ考えていた人。鶴岡にまちを挙げて楽しめるものを作りたいという気持ちが1番強かったのだろうと思います。私はそんな祖父の生き方に感銘を受けてきました」。 100年の歴史の中で平田杯が中止になったのは、戦中とコロナ禍のときだけ。これほど長く続いてきた理由を尋ねると、「庄内の人の気質だと思います。庄内には我慢強さと前に進もうとする力を持つ人がたくさんいるんです。長く継承されてきた文化が多く残っていることと関係しているのではないでしょうか。」と惇さんは語ります。 多くの人に支えられてきた平田杯は、惇さんにとって郷土愛≠サのもの。「平田杯のことを思い返すと、情熱を抱いて関わってくれた方のことばかりが浮かびます。自然豊かで全国的にも優れた鶴岡の風土と生活が、そのような人たちを作り出していると思うんです。私も平田杯の思い出とともに、これからも恩返しをしていきたいですね」。 4月に開催される第100回大会は、「さすが平田杯!」と喜ばれるものにしたいと意気込む惇さん。人に喜んでもらうことを第一に考えていた吉郎さんの遺伝子が確かに受け継がれていました。  祖父の吉郎さんが晩年過ごした平田家離れ。惇さんは朝に牛乳を買って届けていた 農業と公益の発展に尽くした平田安吉の功績をたたえた遺徳碑(鶴岡公園) 第1回大会から優勝チームに贈られてきた純銀製の優勝カップ おととし、庄内地域10校の破損したボール約1,200個を回収し、夕方も練習しやすいよう蛍光色に補修し寄贈 大宝館の平田杯記念展示を眺めながら「100回記念大会では、背番号100のユニフォームで参加しようか」と話す 平田惇 (ひらた・あつし)さん(86) 鶴岡市出身。東京都在住。朝暘二小、鶴岡三中、鶴岡南高校、慶應義塾大学卒業後、大手ビール会社に就職。平田杯庄内高校野球大会名誉会長。ライフワークとして、平田家の築約200年の土蔵を会場に、庄内のことを語り合う「土蔵サロン」を20年近く毎月開催している