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明治期、庄内士族が求めた新天地
明治18年(1885)6月、庄内士族52戸247名が、新天地を求めて入植した地。翌年6月に53戸297人が続いた。地名に「鶴岡」が残り、郷土資料館「いかりん館」に隣接する農村公園には「山形荘内藩士上陸之地」碑が建立されている。 平成元年(1889)、鶴岡市と木古内町は、姉妹都市の盟約を締結している。
所在地北海道上磯郡木古内町