人の情景 scene 05 大和匡輔 Kyosuke Yamato シルク産業をつないできたことが 鶴岡のアイデンティティ  鶴岡シルク鰍フ代表取締役を務める大和匡輔さん。昨年4月に「シルクミライ館」としてリニューアルした松ヶ岡開墾場4番蚕室にある同社で、自社のシルク製品を展開しながら、国内外に向けて鶴岡の絹産業の魅力を発信しています。  「私の父は、羽前絹練鰍ニいう歴史ある会社に勤めていました。子供の頃は、会社の中が託児所のような感じで、従業員の子供たちが大勢で遊んだり、精練槽をお風呂にして入ったり、みんな一緒に育ったんです。」  小さな頃から、鶴岡の絹産業に触れて育ったという大和さん。大学卒業後は、外資の製薬会社に10年ほど勤めた後、鶴岡にUターンしました。  「大学病院担当の営業職として働いていましたが、自分が会社・患者・医師の、どこを見て仕事をしているのか悩んでいました。そんなとき、当時の会社のトップに自分のアイデンティティは生まれた町に持て≠ニ言われたんです。それが鶴岡に戻ってくるきっかけになりました。」  しかし、当時の鶴岡の絹産業は既に斜陽で、大和さんは早くやめるべきだと言ったこともあったそう。  「でも、父は簡単にはやめられないんだ≠ニ口癖のように言っていました。それはやはり、鶴岡のシルクには、庄内藩士たちが松ヶ岡を開墾し、絹産業を通じて日本の近代化に貢献してきた歴史と精神が息づいていて、それをみんなで大切に受け継いできたからなんですよね。そのことが鶴岡のアイデンティティの一つになっているとも言える。」  鶴岡の絹産業や、その技術をつないでいくことの大切さを、自身の父を含め、先人たちから教えてもらったと大和さんは話します。そして、持続可能な社会への転換が世界的に叫ばれている今、シルクはそのお手本になる可能性を秘めているとも。  「日本人はかつて、親の着物を仕立て直して、子供・孫の代まで受け継ぎ、最後は雑巾になるまで使っていた。良い物を長く使うという精神を持っています。そして、鶴岡には、養蚕から縫製まで、先人たちが大事に守ってきた全てのサプライチェーン(供給網)がある。鶴岡の絹産業には、世界の潮流の中で1周遅れのトップを走れる力があるんです。」  ただ、従来と同じことを続けるのではなく、時代に合わせて変わっていかなければと語る大和さん。  「致道館の教学である徂徠学の教えにもあるように、教え合い、学び合い、みんなで団結してやることが大事だと思うんです。そういうところでイノベーションが生まれる。これからも原点を大切に、鶴岡のシルクの魅力を伝えていきたいですね。」  その目は未来を見据えています。 写真 ▲シルクミライ館(松ヶ岡開墾場4番蚕室)内にあるショップ。鶴岡のシルク製品ブランド「kibiso」を展示・販売する。 ▲東福産業での手捺染風景。プリントにムラがないかなど確認していく。「常に私たち従業員のことを一番に考えてくれます」と社員の一人は語る。 大和匡輔 (やまと きょうすけ)さん(64) 鶴岡市出身。鶴岡シルク椛纒\取締役。東福産業椛纒\取締役社長。鶴岡織物工業協同組合理事。 明治薬科大卒業後、日本チバガイギー梶i現・ノバルティスファーマ梶jに入社。MR(※)として働く。 薬剤師免許を持つ。1993年にUターンし、実家の東福産業鰍ノ入社。2010年に鶴岡シルク鰍設立する。仕事が趣味みたいなものと語る。 ※MR=医療情報担当営業職