特集 ここから、今日も走る、今日も飛ぶ。 問合せ 本所地域振興課?35‐1191 100年の歴史を持つ 鶴岡駅   旅行やビジネス等に欠かせない飛行機や鉄道などの交通機関。近年はコロナ禍で利用者数が減少しました。  交通事業者の在り方も、新型コロナウイルス感染症 をきっかけに変わり、″地域創生≠キーワードに、地域の交流人口を増やす取り組みが行われています。  新型コロナの感染症法上の位置付けが今年5月に変わることから、今後は人の動きも活発になり、その需要は高まることが予想されます。進化を続けどんどん便利になっていく鉄道と飛行機を特集します。  鶴岡駅が開業したのは大正7年(1918)9月。その後100年以上にわたり、日本海側の交通の大動脈である羽越本線の主要駅として、重要な役割を担ってきました。  大正13年(1924)に新津〜秋田間の羽越本線が全線開通し、更に、昭和6年(1931)に上越線が全線開通すると、鶴岡から東京まで鉄道で行けるようになりました。  平成30年には、新潟駅で特急「いなほ」と上越新幹線「とき」の乗り換えが、同一ホームでできるようになり、利便性の向上が図られました。  そして昨年、鉄道が住民にとってより親しみやすいものになるよう、JR東日本が庄内統括センターを創設し、地域に密着した取り組みを主体的に企画できるようになりました。  市では今後も皆さんに利用してもらえるよう、JR東日本と協力していきます。 鶴岡駅‐東京駅間が最大14分の時間短縮  上越新幹線の速度向上(最高速度がこれまでの時速240qから時速275qに)等によって、3月18日のダイヤ改正で、鶴岡から東京まで鉄道で行く場合の最短時間が、上りで3時間25分となり、14分短縮されました。大宮までは最短3時間2分です。首都圏が更に近くなりました。  この機会にぜひご利用ください。 過去10年の鶴岡駅乗車人数 令和2年、3年 コロナ禍で減少 JR東日本 鶴岡駅長 海老澤友宏(えびさわ ともひろ) さん  昨年3月に組織改編があり、これまで鉄道運行をメインとしていた駅でも様々な企画を更に主体的に実施できるようになりました。そういった背景から、鶴岡・庄内を盛り上げるという共通の目的を持つANAにお声掛けし、今回の「海里」イベント実施に至っています。当日の鶴岡駅では、地域の皆様によるおもてなしにも多大なるご協力を頂きました。心からの感謝を申し上げます。  今後もこういった企画を積み重ねながら、JR東日本・鶴岡駅と地域の結び付きをより深めていきたいと思っています。  ダイヤ改正で時間が短縮されたこの機会に、鶴岡・庄内のすばらしい観光地や食の情報などを首都圏の各駅でしっかりと発信し、美しい羽越本線の車窓を楽しみながら多くのお客様にお越しいただけるよう、これからも安全運行を前提に誘客にも取り組んでいきます。 庄内の玄関口 庄内空港   平成3年10月に開港した庄内空港。羽田線1往復・大阪線1往復の2路線でのスタートでした。羽田線では往復数を徐々に増やしながら、札幌線や函館線、更には成田線も運航するなど、その翼は全国各地そして世界につながってきました。  平成11年には年間搭乗者数が過去最高の43万1、315人を記録。その後も堅調に搭乗者数を維持し、令和元年には成田線の運航開始もあり、歴代2位の42万9、442人となりました。  令和2年からはコロナ禍の影響によって利用者が激減し、減便を余儀なくされた時期もありました。  航空需要が徐々に回復し、昨年6月には、従来の4往復に戻り、現在は多くの方に利用されています。  市が関わる庄内空港利用振興協議会でも、様々なキャンペーンを実施し、より多くの市民が利用しやすい空の旅の提供に努めていきます。 庄内‐羽田線が期間限定で5往復化  3月26日〜5月31日と10月1日〜28日の期間、庄内空港と羽田空港を結ぶ飛行機が1往復増え、1日5往復となります。コロナ禍からの需要回復が他の路線に比べ順調なことから、ANAのダイヤ見直しに伴い増便となりました。増えるのは羽田発午後1時10分と庄内発午後2時55分の便です。  この機会にぜひご利用ください。 過去10年の庄内空港搭乗者数 令和1年 歴代2位の 42万9,442人 令和2年、3年 コロナ禍で減少 ANAあきんど鰹ッ内支店長 前田 誠(まえだ まこと)さん  私たちの1番の使命は皆さんを乗せた飛行機を安全に飛ばすことです。庄内から東京までは1時間弱という短い時間ですが、その間の皆さんの非日常感やワクワク感を大切にしたいんです。そのためにも安全が第一です。  最近では地域の連携にも力を入れています。3月5日にJRの「海里」にブルーアンバサダーを乗車させていただき、特別イベントを行ったのは、地域を盛り上げていきたいという思いからです。以前からJRとは交通事業者間で連携したいと考えていましたので、良い機会を頂けたと思っています。  コロナに学んだことは、飛行機を飛ばすだけでなく、地域の人たちと手を携え、人と物が流れるきっかけを作ることの重要性です。これまでの皆さんの支えに応えられるよう、いろいろチャレンジし、鶴岡・庄内の可能性をもっと広げていきたいです。