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新町名とその由来3

更新日:2015年1月16日

第5学区

道形町どうがたまち

 羽越線以北、西は酒田街道(旧国道7号線)東は内川に区画され、大字道形字清水上、亀ノ甲、継田、大道東それに大字大宝寺字大宝地の一部を合わせた農家町で、実施時は地区内に田圃が多くあった。酒田街道沿いはつぎつぎに宅地化が進み新しい町が出来ることを予測して住居表示が実施された。町名の道形町は、町民の強い要望で大字時代の地名がそのまま町名となった。

大宝寺町だいほうじまち

 大字大宝寺字大宝地だけでひとつの町になった。もともと大字大宝寺は市内でも一番広く、道形町、末広町、錦町、日吉町、宝町、鳥居町、日和田町、切添町、朝暘町、宝田一丁目、余慶町に分割されている。区域は北が羽越線、東が藤島町に通じる県道の西三河橋まで、南は内川、西は酒田街道に囲まれた地区である。町名については由緒ある歴史的地名であることから付けられた。史書である軍記物語の「義経記」によると義経一行は庄内に入り「かくて田川を立給ひ大泉荘大梵寺を通せ給ひ --」とあり、大泉荘大梵寺(大宝寺)は鶴岡の旧名であった。

末広町すえひろまち

 寿町、大字大宝寺の一部、大字道形の一部を合併し新しい町として誕生した。この地区は大正12年羽越本線鶴岡駅が開設され、駅前通を中心に発展した町であり通称「駅前」と呼称されていた。駅前通の西側は昭和29年に区画整理事業により、大字大宝寺、大字道形の区域を一部分割して寿町を新設した。古い伝統ある城下町鶴岡の中では比較的新しい町であり、鶴岡市の表玄関鶴岡駅をようし鶴岡市駅を中心に湯野浜温泉への電車(現在廃止)、定期.観光バス等交通網の起点として発展してきた町である。 町名については将来さらに末広がりの繁栄を願い名付けられた。審議会では「駅前町」「寿町」などの案あったが寿に通じる末広が取り上げられた。

日吉町ひよしまち

 鶴岡駅より南下し旧国道7号線交差点から日枝神社交差点までの繁華街を通る幹線を中心に結合方式によって旧最上町、大宝寺、日和町、宝町、高畑町で構成されている。昭和30年に庄内農協会館、昭和36年には鶴岡市農協ビルが完成し、山形銀行鶴岡駅前支店も立地している。町名は、日枝神社が文化13年に正一位の位を受け「日吉ひよし神社」と呼ばれたことに由来する。明治になってから現在の日枝ひえ神社となった。

宝町たからまち

 藤島街道の以南に位置し、旧宝町、大宝地、与力町薬湯小路が統合し旧町名をそのまま残した。旧大蔵小路は酒井藩鉄砲組が住んでいた由緒あるところであり、鉄砲は藩の宝物のごとく大事にされたことによると言われている。

鳥居町とりいまち

 いまから七、八百年前赤川が乱流時代に鳥居町は赤川の河原であった。その赤川河原に羽黒山の「一の鳥居」があり、羽黒山参りの人たちはこの一の鳥居が起点でそばには身を清める「口すすぎ所」もあった。しかし、鳥居は戦国時代末期天正年間にこわれたまま再建されなかった。現在は、内川沿いの常源寺に一の鳥居の石碑が有る。鳥居町は旧鳥居町、与力町の一部、大宝寺字切添の一部が一緒になって出来た町である。現在の鶴岡ガス会社の裏手には内川が大きく蛇行していたが、昭和29年より人工的に流れを変えて埋め立てられ切添区画整理事業として宅地造成された。昭和35年に着工された「荒町東部区画整理事業」により、旧国道112号線のバイパスとして東通りが整備され(38年完成)、日枝神社交差点より昭和橋、昭和通りにつながり三和町蓮台院わきを抜けて六十里越に合流した。

切添町きりぞえまち

 北、西の内川から東は赤川までの通称「新田田圃」も昭和48年より市の都市計画道路事業といっしょに「鶴岡東部区画整理事業」が行われたが、すでに昭和39年には朝暘第五小学校は現在地に移転されており、現在の鶴岡東高校(旧鶴商学園)の前進である鶴岡経理専門学校も同年に開校した。今、切添町、朝暘町、日出町の区域は大住宅街に生まれかわっている。昭和54年には国道112号線が赤川堤防沿いに付け替えられた。町名は字名から付けられた。

朝暘町ちょうようまち

 明治9年県令三島通庸が、現在の市役所の敷地内に三層楼の洋風な学校を建てた。3階からは遠く朝日連邦が望見される近代的な学び舎で、生徒の学力が朝日が昇るように向上することを願い、朝暘学校と名づけられた(市役所前の朝暘学校記の碑による)。旧市内の小学校にはすべて朝暘の文字を付けている。朝暘町が、市街地の東側に位置し朝日が昇ることから、歴史的に由緒あるこの名を町名とした。

宝田たからだ二丁目

 酒田街道西側に位置し、北は国道112号線から茅原通り本田に抜ける市道が町界で、南は末広町の町界までとなっている。商工業の社屋を中心に企業等の宿舎も立ち並び工業団地の一郭をなしている。町名は字宝田の地名より命名。

宝田たからだ三丁目

 北は鶴岡市浄化センタ-、西は酒田街道、東は一部赤川.一部内川、南は道形町界までの区域で鶴岡市が東工業団地として開発した。町名については宝田一丁目と同様である。

第6学区

みどり町

 昭和35年県内では初めての組合法施行による新斎部区画整理組合がつくられ、新斎部字沖一部、字千本〆一部の区画整理事業が(5.2ha)行われ、昭和38年に仮名の“みどり町”が一般市民の応募により決まり、新しい町が誕生した。その後短期間で開発が進み新斎部字興屋田一部、千本〆一部、砂田一部、大谷地一部、平京田字堰口一部、大塚島田一部を統合し大きなみどり町として誕生した。この町には市立第一中学校、(現在道田町)その校庭の東に学校給食センタ-(現在白山)等があった。

新海町しんかいまち

 大海町、新町を中心に新斎部一部、幸町一部、家中新町一部が統合して出来た町で、大海町の「海」と新町の「新」を残して「新海町」としたことは、旧町名に愛着をもつ地域住民の感情と思われる。大山街道が通っており、この町には現在も松岡ガラス、羽前絹練などがあるが、中野京田に移転した広田製作所もあった。

大西町おおにしまち

 新斎部字大谷地一部、宮田一部、砂田一部、小淀川字村東一部、辰巳一部、柳田字田中の一部が統合して出来た町で住宅街として発展してきた。町名については住居表示審議会において、西部地区の中で世帯数人口等からみて大きな町であることから、東部地区の大東町と対比することで“大西町”という意見がだされ決定した。

西新斎町にししんさいまち

 新斎部興屋田一部、大部一部が統合した町で、南は鶴岡自動車学園より北側で旧国道をはさんで大塚町と大部町とに挟まれ羽越本線と一点で交わる三角の町である。町名は東新斎町と同様に大字名新斎部からで東に対比したものと思うが資料がないため解らない。

砂田町すなだまち

 西に旧国道7号線、東に大西町、北にみどり町、南に淀川町に囲まれた区域で、大字新斎部字砂田一部を中心に、大字布目字東通一部が統合した町である。町名については字名からとった。

淀川町よどがわまち

 砂田町の南に位置し、小淀川字村東一部、字谷地田が統合してできた町で住宅街として発展している。この町には昭和51年に新たに朝暘第六小学校が開校された。町名は大字名によっている。

道田町みちだまち

 大字寺田字道田一部、字大東一部、小淀川字村東一部を統合して出来た町で市立第一中学校を中心に発展している住宅地である。その第一中学校も昭和56年に大泉中学校、上郷中学校を統合し移転してきた。町名は字名から命名された。

大塚町おおつかまち

 旧国道7号線より羽越本線の間に位置し、大字平京田字屋敷廻り一部、字大塚島田一部、字堰口一部、字乾一部、と字東深が統合して出来ている。この町には山形地方法務局鶴岡支局がある合同庁舎や、県立鶴岡養護学校などがある。町名は字名によっている。

美咲町みさきまち

 西部区画整理事業区域と隣接する区域の、大字布目字東通・中通の一部、大字小淀川字谷地田・村東の一部、大字平京田字堰口・屋敷廻の一部、大字新斎部字砂田が、平成14年10月5日に住居表示されたもので、市役所より西へ2.5kmの市街地の西端に位置する。東北横断自動車道酒田線鶴岡IC西側が接しており、北側に国道7号・南側に一般県道面野山鶴岡線(旧国道7号)・東側は主要地方道鶴岡羽黒に接しており、主要幹線道が交差する広域的交通の拠点となる位置にある。美咲町の町名は、住居表示実施前の町内会の名称が付けられた。

平成11年2月調整
平成18年6月調整

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