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姉妹・兄弟・友好都市等

更新日:2018年12月13日

国内

兄弟都市 鹿児島市<昭和44年11月7日 旧鶴岡市盟約>

 慶応3年、庄内藩は幕府の命により、江戸薩摩藩邸を焼き打ちして戊辰戦争の口火をきり、最後まで官軍に抗戦した。慶応4年9月降伏帰順し、官軍の報復と厳罰を覚悟したが、意外にも、その処分は寛大なものであった。それが西郷隆盛の指揮によるものであることを知った庄内藩では、その偉大で高潔な人格に深い感銘を受け、明治3年の11月7日藩主酒井忠篤自ら70余名の藩士を率い、西郷のもとに兵学実習に赴くなど、徳による交わりを深めていった。
西南の役で西郷は没したが、庄内では西郷の教えを書きとめた「南州翁遺訓」を編集し、西郷の賊名が解かれた明治22年、全国に頒布してその教えと人となりを広めた。上野の森に立つ「西郷さん」の銅像建設にも酒井忠篤が発起人となっている。
 鹿児島市と鶴岡市は西郷の縁によって兄弟の契りを結び、永く「敬天愛人」の教えを伝えている。

友好都市 江戸川区 <昭和56年5月25日 旧鶴岡市盟約>

 昭和19年、第二次世界大戦の戦火にさらされた東京では、学童の集団疎開が始まり、江戸川区の集団疎開学童のほとんどが、中心市街、湯田川温泉、湯野浜温泉、温海温泉、善宝寺、大山の旅館や寺院などに滞在した。窮乏した時代の親元を離れたさびしい毎日であったが、比較的恵まれた疎開生活を過ごすことができた。
 終戦とともに東京に戻った学童は、やがて成人するうちに鶴岡の土地と人々を懐かしく思い出すようになり、新潟地震の際の救援や内川への鯉や金魚の放流など、友情が続いてきた。
 さらに市民全体に友情の輪を拡げ、平和の尊さを語り継ごうと友好都市の盟約を結び、各分野で交流を深めている。

姉妹都市 北海道木古内町 <平成元年4月27日 旧鶴岡市盟約>

 木古内町は、函館市から約42キロメートル、渡島半島の西南部に位置し、江差・松前方面の分岐点として函館市以南の経済圏における中心地となっている。町の89.5%は山林で、豊富な杉を利用した林業をはじめ、農業・漁業を基幹産業としている。昭和63年3 月には青函トンネルが開通し、平成28年3月には北海道新幹線が開業するなど北海道の南玄関口として今後さらに発展することが期待されている都市である。
 木古内町とのかかわりは、明治18年から同19年にかけて旧庄内藩士105 戸が開拓のため移住したのが始まりで、その後、昭和39年に同町鶴岡小学校と本市の朝暘第一小学校とが姉妹校の提携を結び、学校同士の交流が続いた。この交流をさらに広げ、両都市のきずなを一層強いものにしようと、姉妹都市の盟約を結んだ。

姉妹都市 北海道名寄市 <平成8年8月1日 旧藤島町盟約>

 明治中期、添川出身の太田豊治を団長とする移住団が、現在の曙地区に開拓を始めた。その後着実な発展を遂げた名寄市では、開基90 周年目の平成2年、名寄市開基90周年市制施行35周年記念式典に旧藤島町長が訪問するなどの交流が始まり、平成8 年に姉妹都市の盟約が締結された。平成6年からは、少年少女交流事業なども行われている。
 名寄市では平成8年に「名寄・藤島交流友の会」が、藤島地域でも平成10 年に「藤島町名寄交流友の会」が発足し、友の会では、今後もお互いの住民が歴史や文化への理解を深め、更なる交流を続けていくことを再確認している。

友好都市 東京都新島村 <昭和59年11月15日 旧羽黒町盟約>

 新島村とのかかわりは、羽黒山中興の祖天宥法印が新島に流島された約340年前に遡る。天宥法印は、一山再興のため尽力されたが、改革に不満を持つ衆徒からあらぬ罪をきせられ新島に流罪となり、81歳の生涯に幕を閉じた。
 昭和13年に、天宥法印の墓所が確認されて以来、46年間にも及ぶ墓参講が始まり、この墓参講が契機となり、昭和59年に友好町村盟約を結んだ。盟約締結後は、各種交流事業を通して、友好の輪が広がり、さらに、信頼の輪が重なり、ともに学び合える関係を築いている。

東京都墨田区 <平成9年7月14日旧朝日村友好協力協定締結>

 墨田区とのかかわりは、昭和61年に県から都市農村交流事業の指定を受け、交流相手の調査をした結果、墨田区が農村との交流を求めていたことから、昭和62年から児童交流を中心に交流が始まった。交流時の宿泊は、相互のホームステイを原則とし、墨田区の児童は自然を生かしたキャンプを通して交流を行い、朝日の児童は都会生活を体験するスタイルで、交流が続いている。
 行政レベルでも、災害時に物資等を相互に供給し、職員の派遣及び被災者収容施設の提供等の相互協力、支援を行うため、平成8年7月14日に「防災相互応援協定」を締結し、その翌年に友好協力に関する協定を締結した。

友好都市 鹿児島県曽於市 <平成13年10月17日旧温海町姉妹盟約>

 明治元年の戊辰の役、東北戦争の際、旧温海町関川は、島津家重臣・伊勢家の家臣団「岩川私領五番隊」の新政府軍と旧幕府軍の庄内藩とが東北戦争最後の戦いを激しく繰り広げた地でした。先祖が戦争で敵同士になった過去がありながらも、この縁がきっかけで、旧大隈町の「ふるさと歴史探検隊」が訪問したことから交流が始まった。
 その後も、各種記念行事を通した交流や、福栄小学校の児童が毎年雪をプレゼントするなどの交流が続き、平成11年には、旧大隅町岩川郷建設130年記念式典事業において、近所盟約を締結し、平成13年には、友好都市姉妹盟約を締結するに至った。

国外

姉妹都市 ニューブランズウィック市(米国ニュージャージー州) <昭和35年6月10日 旧鶴岡市盟約>

 慶応3年、庄内藩士の高木三郎は、アメリカの大学への日本人留学生の一員としてニューブランズウィック市にあるラトガ―ス大学に学んだ。その後、高木三郎は駐米代理公使として日米郵便条約を結んだほか、サンフランシスコ副領事を経て、ニューヨーク総領事となるなど日米親善に大きく貢献した。彼が学んだ学校は、現在もニューブランズウィック市の歴史的建造物として現存しており、彼の娘の墓も他の日本人留学生の墓とともに保存されている。
 このような機縁をもとに、日米修好百周年にあたる昭和35年、姉妹都市の盟約が成立した。
 ニューブランズウィックは、ニューヨークにほど近い美しい大学都市である。両市の深い友情は両市にとってばかりでなく、国際理解、国際平和にも大きな役割を果たすものと期待される。

友好都市 ラフォア市(フランス領ニューカレドニア) <平成7年2月9日 旧鶴岡市盟約>

 ラフォア市は、南太平洋に浮かぶフランス領の島ニューカレドニアの首都ヌーメア市の北西約115キロメートルにあり、面積は約500キロ平方メートル、人口は人口3,542人(2014年)。農業や牧畜が主な産業で、特にジャガ芋の生産はニューカレドニア一を誇る。海岸地帯ではエビの養殖も行われている。また、地域の中心都市として各種の公共機関や教育施設が置かれている。沖合には珊瑚礁に囲まれた美しい島があり、自然豊かな農業都市として、地域の中心都市として発展している。
 平成2年に、継続的な交流を希望していたラフォア市長の来鶴をきっかけに、その後、活発な相互交流が展開された。そして平成7年2月、今まで培った友情をより確かなものにし、今後の一層の交流の促進を期して友好都市の盟約を締結した。

友好協力都市 尚志市(中国黒龍江省) <平成12年10月25日 旧温海町調印>

 尚志市は、中国東北部ロシアとの国境に接する黒龍江省の省都ハルビン市に程近い場所に位置し、面積は約9,000キロ平方メートル、人口は約60万人の地方都市である。主な産業は農業や食品加工業で、特に中国国内ではビールの生産地としても有名である。
 尚志市との交流については、当時山形県が黒龍江省と姉妹県省として友好関係にあり、経済交流も盛んであった。旧温海町も黒龍江省を何度か訪れていた経過があり、友好関係を結べる都市との交流を希望していたため、県関係者等から紹介され、人的交流や経済交流に熱意を持っていた尚志市と友好親善を図ることとなった。平成12年に町長はじめ関係者が訪中して友好協議書を締結し、以来中学生の相互訪問などを中心に交流を行っている。

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