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新町名とその由来1

更新日:2015年1月15日

第1学区

本町ほんちょう二丁目

 本町一丁目につづいて一日市町・七日町を貫く鶴岡の目抜き通りであることから本町二丁目とした。この町は一日市町・七日町の一部・二百人町の一部を中心に、南町の一部・十三軒町の一部・十日町の一部が統合して出来た。戦後、銀座通りから六十里越えに通ずる南銀座が拡張され、東北電力鶴岡営業所・山形銀行鶴岡支店・鶴岡信用金庫南支店が立地し、病院・医院・歯科医院が合計12開院している。

三和町みわまち

 蓮台院から鳳達寺に通じる市道以南に位置し、十三軒町の一部、七軒町の一部、島(養海塚)の一部を中心に南町一部を統合し新しい町となった。十三軒・七軒町は酒井氏時代になってから各々十三軒・七軒の御家中をおいたことから旧町名になった。また、島は北の旧大宝寺とならんで広い地域であり、住居表示実施地区では神明町、三和町のほか長者町、千石町、文園町、睦町、三光町の七つの町に分割されている。中心となる三町がこれまで市の外れであったが、これから旧国道沿いにますます発展しそれに対処するためにも「和をもって尊し」のごとく三和町とした。

睦町むつみまち

 旧吉住町の全地区と賀島町・南新屋敷・南町・島の各一部が一緒になったので「みんなで仲良くやっていきたい」という願いをこめて住民が睦まじく暮す町「睦町」とした。この町には寺が多く常念寺・明伝寺・龍蔵寺・萬福寺などがあり、旧吉住町は寺小路と言う門前町であった。南新屋敷には東北電力変電所があり、そこから南は田圃で外内島手前の内川まで続いていた。

三光町さんこうちょう

 旧銀町・檜物町の全域、賀島町・南新屋敷・七日町・島の各一部が統合した町で、西側には内川が流れている。銀町・檜物町・賀島町の三町とも、はじめはどこにも分割されず全地区が一緒になる計画だったので、三つの町が輝かしく発展するようにと、「輝く」は字がむずかしいため「光」とし三光町が生まれた。最終的には賀島町の一部は睦町に入った。

双葉町ふたばちょう

 大正13年7月に発令された山形県の命令により大字日枝字天池・字ハッチリの農用地等が造成された新開地で、町名は大正14年5月に公募し、一日市町の女性が応募した双葉町が採用された。双葉町は町内会名で住所は大字日枝のままであったが、昭和41年の住居表示実施により住所も双葉町となった町である。

文園町ふみぞのまち

 文園町は、文字どおり文教の町の意から名付けられた。朝暘第一小学校は、庄内藩の藩校“致道館”の直系といえる。その隣りに市立第三中学校(現在は城南町)があって、旧112号線添いには鶴岡社会保険事務所(現在錦町)があった。

千石町せんごくまち

 六十里越旧112号線東側に位置し、大字日枝字道上(町海老島)の一部、島字道西の一部、天池の一部、遠賀原字温海田・李田が統合した町である。旧七軒町からの通りが本通りであったが、旧112号線開通後は裏通りとなり住宅街となった。町名については当時の町内会に任せており由来等は明確ではないが千石というと目出度いことにつかわれることから命名されたと地元の古老は話している。

長者町ちょうじゃまち

 神明町、三和町、千石町、新内川に囲まれた町で大字島字天池一部、長者渕一部、大字遠賀原字李田一部、大字八ツ興屋字北田の一部が一緒になった町である。中央には東西に市道苗津大山線が走り平成10年に長者大橋が竣工したことにより国道112号線に直結した。町名については、おめでたい字名長者渕があるところから長者町とした。

城南町じょうなんまち

 住居表示実施地域の中では最南端に位置し内川、新内川、千石町、文園町、日枝字海老島、外内島字図書川原に囲まれた区域で、中央南北に旧国道櫛引街道がとおり、大字遠賀原字芦原一部、高間々一部、外内島字割目、図書川原一部が一緒になった町である。この地には昭和49年に市立第三中学校が現在の文園町(島字道西.日枝字海老島)より移転している。町名は鶴ヶ岡城の南の方位にあることから城南町とした。

小真木原町こまぎはらまち

 小真木原運動公園を中心に南に市立第四中学校、北は住宅街で面積は約30haの町で大字日枝字小真木原の一部、赤沼、畑町、和田・清水上・沢田・坂本・宮下・大字八日町字上川原・大字番田字東田の一部が統合し出来ている。町名は字名による。

海老島町えびじままち

 双葉町、文園町、日枝字大塚一部、海老島に囲われた11haの小さな町であるが、西側内川までの間宅地開発が予測されることから町として誕生した。町名は字名をとった。

のぞみ町

 遠賀原字高間々と字温海田の一部10.3haが、平成17年8月27日にのぞみ町となった。千石町・城南町そして内川に接しており、鶴岡市水道部・城南幼稚園が立地している。町名は、住民等の関係者から募集し選考委員会で選定した。

第2学区

本町ほんちょう一丁目

 鶴岡市の繁華街鶴岡銀座商店街が中心となっている。大泉橋を渡ると銀座通りをはさんで、西側が川端通り東側が昭和通りにあたり、北から開運橋を渡る八間町より、千歳橋の五日町通り、三雪橋の三日町通り、鶴園橋の十日町通りに区画されており、下肴町全部、八間町の一部、五日町の一部、三日町の一部、十日町の一部が含まれていた。元和8年酒井氏が入部によって町人町として町割りされたところで、越後から秋田、最上方面に通ずる羽越街道が、北から荒町、下肴町、五日町、三日町、十日町、一日市町、七日町、上肴町、新町を貫いている。中でも五日町、三日町、十日町は鶴岡の目抜き通りで「通丁」(とおりちょう)と呼ばれていた。昔からの呼び名「通丁」をとって本町一丁目と名付けられた。又、一日市町、七日町を中心とした繁華街を本町二丁目、上肴町を本町三丁目とした。

昭和町しょうわまち

 北に内川、南に羽黒街道、西に昭和通り、東が八坂神社前通りで囲まれたほぼ長方形の町である。町名については昭和通りにちなんで名づけられた。昭和通りは終戦直前の昭和20年に三和橋(現在の昭和橋)より南に蓮台院の突き当たりまで拡幅された。又、羽黒街道は旧五日町中劇通り、後にバス運行でみゆき通り、そして現在の羽黒街道となった。朝暘第二小学校は羽黒街道沿いにあったが、苗津町に移転し、現在は東原町にある。二小跡地は県立職業訓練所となり、その後第二コミセンに変わっている。

大東町だいとうまち

 東部に栄える大きな町という意味で名づけられた。現在では美原町が世帯数、人口は一番多く、大西町と続くが住居表示当時はこの町が一番大きかった。市内を流れる内川に江戸時代、神楽橋(七日町橋)、鶴園橋(十日町橋)、三雪橋(三日町橋)、千歳橋(五日町橋)、大泉橋(荒町橋)の橋が架けられ、下流にはなかなか許可されなかった。禅中橋はなく一文渡しであったが、住民の不便を見かねた禅中和尚が、托鉢をしてお金を蓄え藩に願い出て文政3年(1820)ようやく架けられた歴史的由緒ある橋である。

神明町しんめいちょう

 天神町、二百人町一部を中心に十三軒町一部、島、新士町一部が統合して出来た町である。天神祭りの神様、菅原道真公を祀る天満宮太宰府神社があるところから、天神町をそのまま引き継いだらと言う意見が強かったが、この地域には天満宮はじめ、伊勢両宮、春日神社、八幡神社が祀られていることから神明町となった。

苗津町なえづまち

 一番ちいさな町48世帯で発足した純農村集落であったが、羽黒街道沿いに急速に発展することを見込んでつくられた。昭和47年に着工し昭和58年に竣工した新内川により分断されたが、平成7年国勢調査では157世帯と3倍以上の世帯となっている。朝暘第二小学校は苗津川添いにあったが、平成11年1月に東原町に移転した。町名については地名から付けられた。

日出ひので一丁目

 日出一丁目は、平成元年に日出町の西側と苗津字大東が一緒になった町。
 昭和41年に住居表示された日出町は鶴岡市の東端に位置し、赤川をはさんで庄内平野のかなた月山山系の山並みから太陽が昇る。そんな町民の心意気が新しい町名にこもっている。この町は紙漉町一部を中心に斎地区の苗津と伊勢横内の一部(土手下)が一緒になってつくられた。この町の中央を、三日町・八坂町・紙漉町から連なる旧羽黒街道が東西に走り菅原橋へと続いていた。この道路は庄内藩の軍事的理由からカギ形に曲がりくねっており、両側には商店が建ち並び、改修は不可能であったため、市役所前の通りを延長して赤川の菅原橋に直線で結ぶ新羽黒街道が切り開かれ、菅原橋は羽黒橋に改名された。
日出町は、平成元年に区域を広げ日出一丁目、二丁目に分けられ、一部は東原町に編入された。

日出ひので二丁目

 日出二丁目は、平成元年に日出町の東側と伊勢横内字荒田・字大場川原・字苗代川原、苗津字大東を合わせてつくられた町で、西側は国道112号を境に日出一丁目と接し、東側には赤川が流れており、南側は、羽黒街道(主要地方道鶴岡・羽黒線)などを境にして伊勢原町と接している。

東原町ひがしはらまち

 東に国道112号線、西に市道鶴岡駅・外内島線の間で羽黒街道を中央に、北は日出一丁目、南に苗津字腰前.縄田に囲まれた区域の町である 。町名については住民のアンケ-トにより応募された中から4点をしぼり、再度、住民の意向を投票してもらい東原町にきまった。羽黒街道沿いにグランド.エルサンがあるが住宅街の町である。

伊勢原町いせはらまち

 東端に位置し大字伊勢横内字荒田、大場川原、苗代川原、大字苗津字大東の各一部が一緒になって出来た町である。東は赤川、西に国道112号線、北に羽黒街道、南に伊勢横内純農業集落がある。町の中には鶴岡市国際交流センタ-、出羽庄内釣りバカ会館(平成13年閉館)、鶴岡市斎場、鶴岡市東部運動公園等があり、国道沿いには各社屋が建ち並でいる住宅地域である。町名については、歴史的に大字名の伊勢横内は伊勢両宮分社があったことから由緒ある「伊勢」と字名の大場川原、苗代川原の「原」をとり伊勢原町とした。

桜新町さくらしんまち

 平成11年9月に実施された鶴岡市南部区画整理事業区域の一部で市道苗津・大山線、鶴岡駅・外内島線、新内川に囲まれた区域で大字苗津字大西、大字八つ興屋字北田一部が一緒になった町で住宅街として発展しているところである。町名は住民より応募し住民全体で検討した。内川堤には建設省の新内川桜堤モデル事業により桜の苗が植えられ、将来咲き栄えることを願い、新しく開発された地域であることから桜新町とした。

ほなみ町

 桜新町と同じ区画整理の一部で市道苗津・大山線、鶴岡駅・外内島線、我老林・八つ興屋・苗津線、月見橋・八つ興屋・伊勢横内線と国道112号線に囲まれた町で、なえづ(在宅介護支援センタ-)、ゆうあいプラザかたぐるま(障害者生活支援センタ-)があり、国道沿いには3.3haを要するショッピングセンタ-がある。町名は住民より応募し、この土地は田園地帯で秋には稲穂が風にゆれていたことを語り継いでゆきたいことからほなみ町とした。仮名にしたのは若者からの支持などがあったからである。

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